武士は食わねど高楊枝、、、「忍耐」「やせ我慢」は本当に美徳なのか?~Vol.54~

武士は食わねど高楊枝・・・

元来、日本では「忍耐」「我慢」というものが美徳化されてきた。

 

先日の電通事件でもそうです。

とある大学の教授が、

「残業が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない」

という信じられない発言をしていた。

 

確かに、一般企業において、特にコミュニケーションであったり、取引先とのビジネスライクのやりとりにおいては多少なり我慢することもあると思う。

でも、あくまでビジネスですから。

確かに「食うか食われるか」といった勢いで交渉してくるお客様も以前はいた。

 

ただし、100時間を超えたくらいで~発言は不安になる。

 

そもそも100時間超過で働くことは良いことなのか?

 

私自身、今回の電通事件で思うことは、

 

「定時間内にしっかりと業務を完了させることを意識していた管理職はいたのか?」ということです。

とある大学の教授も、100時間耐えれなかった社員に対してではなく、100時間も残業させ、社員を疲弊させ、そして最悪な結果を招いた管理職に対しての避難だったらここまでバッシングもされなかったのではとついつい思います。

 

もし戦争が起きて、この戦い方をしていたら、「兵」は疲弊し、「軍」として機能しなくなる。そして戦争に負ける。

誰もが望んでいない結果を招くだけになると思う。

 

「こんなことも耐えれないのか、最近の若者は、、、」

「ガッツがないんですよ、最近の若者は、、、」

「最近の若者は、、、」

 

「最近の若者は、、、」という魔法の言葉に惑わせられ、世の管理職は自分の逃げ道を作っているのではないだろうか?

 

防大時代、護衛艦訓練時の風呂は悲惨だった。

一度、航海が始まると、水はとても大切なものになる。

そのため、風呂は「桶一杯」の水で頭、体、顔とすべてを洗う必要があった。

それ以前に風呂に入れることだけでもキセキだった。

 

一度、訓練前に先輩に愚痴ったことがある。

「桶一杯はきついです。忍耐力を養う訓練ですか?」

 

そしたら、こういわれた。

「水は大切だから桶一杯はしかたない。桶一杯の水でいかに効率よく体を洗えるか、頭を洗えるかを考えよっか。忍耐力?違う。忍耐という気持ちを形にし、工夫する訓練(笑)」

 

今いる人、今あるもので最大の成果を出すというミッションの元になった会話です。

 

「忍耐」を求められることも多い昨今、「忍耐」なんてケースbyケース、そのときの気分で我慢できること、我慢できないことが決まる。

 

それだったら、「忍耐」という気持ちを形にする力をつけることに注力すればよいのではないだろうか。

 

「最近の若者は素直ではないんだよな。」

この忍耐、不満、、、最近の若者を素直にさせるようなコミュニケーション「力」を管理職は身につけようぜ。

 

「最近の若者はちょっとした残業ですぐに弱音を吐くんだよな。」

この忍耐、不満、、、最近の若者と関係なく、残業しなくても成果が上がるようなマネジメント「力」を管理職は身につけようぜ。

 

優秀な部下がいないという発想は捨て、

部下をうまく使えていない、成果を出させれていない、自分自身の管理能力をまずは疑おうぜ。

 

他責から自責へ。

 

今いるもの、今あるもので精一杯知恵を出し、最高の結果を出していきましょう。